11月2日に
私の父が亡くなりました
81歳でした
私が子どもの頃の父はとても厳しく、
「テストは100点」「成績は学年1位」
「通知表はオール5」を
目標とするよう常々言われていました
通知表に「3」なんてものがあったら、
それはそれは大変でしたψ(`∇´)ψ
なので100点であっても当たり前、
ほとんど「5」の通知表であっても当たり前…
…かと言って、
「勉強しろ!!!」なんてことは
言われた記憶がないので、
自分から勉強していたんでしょうね(*≧∀≦*)
なので子どもの頃は
正直とてもしんどかったです(笑)
歯科大学を卒業したあと
歯科麻酔科という講座の大学院生となり、
父が成しえなかった「歯学博士」を取得した時は
とてもよろこんでくれました(^∇^)
でも人間ってどんどん欲深くなるもの。
その後そのまま歯科麻酔科に在籍して
将来的には私に「歯科麻酔科の教授」に
なって欲しいという父の新たな野望が
芽生えてしまいました( ̄∇ ̄)
しかし努力さえすれば
「教授」なんてものに簡単になれるほど
世の中甘くはありません(*´∀`*)
大学病院を勝手に退職してしまい
「教授への道」が途絶えた時は父の逆鱗に触れ
勘当されてしまいました(=´∀`)
その後勘当が解けるまでの3年間は
実家に帰ることもできませんでした(笑)
そんな鬼軍曹のように厳しかった父が
どんどん老いていくにつれ丸くなり、
すっかりただの気の良いおじいちゃんになり
孫もたくさん可愛がってくれました(╹◡╹)
晩年、私が子どもの頃
父が私に対して厳しかった思い出話をすると、
「そうやったかの〜??」と
なにひとつ覚えていないことには
ちょっとムカつきましたが…(笑)
子ども3人を歯科医師にすることは
経済的にも本当に大変だったと思います\(//∇//)\
今となっては本当に感謝しかないです(^o^)
自叙伝が一冊書けそうなぐらい
やりたい放題の一生だったので
父もあの世で満足していることでしょう(笑)
2021年
母と父を2人ともなくしてしまいましたが
あの世でゆっくり休んでほしいと願います
本当に長い間おつかれさまでした
そして本当にありがとうございました(^∇^)